新ブログ『川越名画座』に引っ越しました。さらに充実した内容で運営していますので、ぜひご訪問ください。

2006年08月06日

笠智衆特集

笠智衆 ryuchisyu.jpg  笠智衆


  ■ 本名:笠智衆
  ■ 生年:1904/05/13 日本 熊本県天水町にて
  ■ 没年:1993/03/16 がんのため


■about 笠智衆

■作品レビュー

■関連サイト

■DVD&書籍情報



ラベル:映画俳優 笠智衆
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2006年07月31日

ゲイリー・クーパー特集

ゲイリー・クーパー GaryCooper.jpg  Gary Cooper
  ■ 本名:Frank James Cooper
  ■ 生年 1901/05/07 米国モンタナ州ヘレナ
  ■ 没年 1961/05/13 前立腺癌により


■about ゲイリー・クーパー

■作品レビュー

  • モロッコ 1930/ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督/マレーネ・ディートリッヒ
  • 激斗の河(戦ふ隊商) 1931/オットー・ブローワー他監督/リリー・ダミタ
  • 群衆 1941/フランク・キャプラ監督/ドリス・デイ
  • 真昼の決闘 1952/フレッド・ジンネマン監督/グレース・ケリー

■関連サイト 

■DVD&書籍情報




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2006年07月28日

ケーリー・グラント特集

ケーリー・グラント cary grant.jpg  Cary Grant
  ■ 本名:Archibald Alexander Leach
  ■ 生年 1904/1/18 英国ブリストル ホリフィールド
  ■ 没年 1986/11/29 アイオワ州ダベンポートの講演先にて
                   脳卒中のため


■about ケーリー・グラント

■作品レビュー

  • 赤ちゃん教育 1938/ハワード・ホークス監督/キャサリン・ヘップバーン
  • コンドル 1939/ハワード・ホークス監督/ジーン・アーサー
  • 断崖 1941/アルフレッド・ヒッチコック監督/ジョーン・フォンテイン
  • 汚名 1946/アルフレッド・ヒッチコック監督/イングリッド・バーグマン
  • 泥棒成金 1954/アルフレッド・ヒッチコック監督/グレース・ケリー
  • 北北西に進路を取れ/1959/アルフレッド・ヒッチコック監督/エヴァ・マリー・セイント

■関連サイト 

■DVD&書籍情報




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2006年07月27日

ジェームズ・スチュワート特集

ジェームズ・スチュワート James stewart.jpg  James Stewart
  ■ 本名:James Maitland Stewart
  ■ 生年 1908/05/20 米国ペンシルヴェニア州インディアナ
  ■ 没年 1997/07/02 心不全のため


■about ジェームズ・スチュワート

■作品レビュー

  • ロープ 1948/アルフレッド・ヒッチコック監督/ファーリー・グレンジャー
  • 裏窓 1954/アルフレッド・ヒッチコック監督/グレース・ケリー
  • 知りすぎていた男 1956/アルフレッド・ヒッチコック監督/ドリス・デイ
  • めまい 1958/アルフレッド・ヒッチコック監督/キム・ノヴァク
  • 西部開拓史 1962/ヘンリー・ハサウェイ他監督/キャロル・ベイカー

■関連サイト 

■DVD&書籍情報



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2006年07月25日

グレゴリー・ペック特集

グレゴリー・ペック Gregory-Peck.jpg  Gregory Peck
  ■ 本名:Eldred Gregory Peck
  ■ 生年 1916/4/5 米国カリフォルニア州ラ・ホヤにて
  ■ 没年 2003/6/12 ロスの自宅にて 老衰のため


■about グレゴリー・ペック

■作品レビュー

  • 白い恐怖 1946/アルフレッド・ヒッチコック監督/イングリッド・バーグマン
  • 白昼の決闘 1946/キング・ヴィダー監督/ジェニファー・ジョーンズ
  • 紳士協定 1947/エリア・カザン監督/ドロシー・マクガイア
  • パラダイン夫人の恋 1947/アルフレッド・ヒッチコック監督/アリダ・ヴァリ
  • ローマの休日 1953/ウィリアム・ワイラー監督/オードリー・ヘップバーン
  • 大いなる西部 1958/ウィリアム・ワイラー監督/ジーン・シモンズ
  • アラバマ物語 1962/ロバート・マリガン監督/メアリー・バダム
  • 西部開拓史 1962/ヘンリー・ハサウェイ他監督/キャロル・ベイカー

■関連サイト 

■DVD&書籍情報


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ハンフリー・ボガート特集

ハンフリー・ボガート bogart.jpg  Humphrey Bogart


  ■ 本名:Humphrey DeForest Bogart
  ■ 生年 1899/12/25 米国ニューヨーク州ニューヨークにて
  ■ 没年
 1957/1/14 自宅にて 咽頭癌のため

■about ハンフリー・ボガート ■作品レビュー
  • マルタの鷹 1941/ジョン・ヒューストン監督/メアリー・アスター
  • カサブランカ 1942/マイケル・カーティス監督/イングリッド・バーグマン
  • 三つ数えろ 1946/ハワード・ホークス監督/ローレン・バコール
  • キー・ラーゴ 1948/ジョン・ヒューストン監督/ローレン・バコール
  • 黄金 1948/ジョン・ヒューストン監督/ウォルター・ヒューストン
  • アフリカの女王 1951/ジョン・ヒューストン監督/キャサリン・ヘップバーン
  • 必死の逃亡者 1955年/ウィリアム・ワイラー監督/フレデリック・マーチ
■関連サイト ■DVD&書籍情報
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2006年07月24日

俳優別Indexを追加します。

俳優別Index


女優編 男優編
No. Name Date No. Name Date
001 グレース・ケリー 2006.7.24 001 ハンフリー・ボガート 2006.7.25
002 イングリッド・バーグマン 2006.7.24 002 グレゴリー・ペック 2006.7.25
003 ヴィヴィアン・リー 2006.7.24 003 ジェームズ・スチュワート 2006.7.27
004 ケーリー・グラント 2006.7.28
005 ゲイリー・クーパー 2006.7.31
006 笠智衆 2006.8.6


新しいIndexをひとつ追加します。

と言っても、まだまだ中身はないに等しいのですが、古い映画でも観てみようかという人が参考にできるブログを目指しておりますので、俳優別・監督別などで検索できるようにしてきたいと思います。(自分の記事だけじゃおっつかないので、他の方の記事にもリンクはるかな^^;)

数が【極端に】少ないですがご勘弁。

急ぎ拡充いたしますm(_ _)m
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ヴィヴィアン・リー特集

ヴィヴィアン・リー vivien+leigh.jpg  Vivien Leigh
  ■ 本名:Vivien Mary Hartley
  ■ 生年 1913/11/5 インド ダージリンにて
  ■ 没年
 1967/7/7 ロンドンの自宅にて 肺結核のため

■about ヴィヴィアン・リー

■作品レビュー

  • 哀愁 1940/マーヴィン・ルロイ監督/ロバート・テイラー
  • 美女ありき 1941/アレクサンダー・コルダ監督/ローレンス・オリヴィエ
  • アンナ・カレニナ 1948/ジュリアン・デュヴィヴィエ監督/ラルフ・リチャードソン
  • 欲望という名の電車 1951/エリア・カザン監督/マーロン・ブランド

■関連サイト 

■DVD&書籍情報

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イングリッド・バーグマン特集

イングリッド・バーグマン bergman.jpg  Ingrid Bergman
  ■ 本名:Ingrid Bergman
  ■ 生年:1915/8/29 スウェーデン ストックホルムにて
  ■ 没年:1982/8/29 ロンドンの自宅にて 乳がんのため


■about イングリッド・バーグマン
■作品レビュー
  • 女の顔 1938/グスタフ・モランデル監督/トーレ・スベンベルイ
  • カサブランカ 1942/マイケル・カーティス監督/ハンフリー・ボガート
  • 白い恐怖 1945/アルフレッド・ヒッチコック監督/グレゴリー・ペック
  • 汚名 1946/アルフレッド・ヒッチコック監督/ケーリー・グラント
  • 山羊座のもとに 1949/アルフレッド・ヒッチコック監督/ジョセフ・コットン
  • イタリア旅行 1953/ロベルト・ロッセリーニ監督/ジョージ・サンダース

■関連サイト
■DVD&書籍情報 
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グレース・ケリー特集

グレース・ケリー Grace_Kelly.jpg  Grace Kelly
  ■ 本名:Grace Patricia Kelly
  ■ 生年:1929/11/12 米国 フィラデルフィアにて
  ■ 没年:1982/9/14 モナコにて 自動車事故のため


■about グレース・ケリー ■作品レビュー
  • 真昼の決闘 1952/フレッド・ジンネマン監督/ゲーリー・クーパー
  • ダイヤルMを廻せ! 1954/アルフレッド・ヒッチコック監督/レイ・ミランド
  • 裏窓 1954/アルフレッド・ヒッチコック監督/ジェームズ・スチュアート  
  • 泥棒成金 1955/アルフレッド・ヒッチコック監督/ケーリー・グラント
■関連サイト ■DVD&書籍情報
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2006年03月19日

ゲイリー・クーパー年表

ゲイリー・クーパー年表

年齢 出来事 主な映画作品
1901/5/7 0 米国モンタナ州へレナにて生まれる。本名フランク・ジェームズ・クーパー。父チャールズ・ヘンリー・クーパーはイギリスからの移民で牧場主。母アリスもイギリスからの移民。次男。  
1910 9 イギリスに渡り、ダンステイブル・スクールに入学。  
1914 13 第一次世界大戦が勃発し、アメリカに戻る  
1919 18 アイオワのグリネル大学で美術を専攻する。  
1921 20 グリネル大学を中退  
1921 20 シカゴで商業美術の仕事を始める(漫画という説もあり)が、ビジネスは失敗に終わる  
1924 23 西部劇のエキストラ出演を始め、俳優を志す。  
1926 25 サミュエル・ゴールドウィンのオーディションに合格。ヘンリー・キング監督「夢想の楽園」に出演。本格的に映画デビュー。 夢想の楽園
1927 26 週給150ドルでパラマウント社と契約する。  
レアランス・バジャー監督「あれ」(クララ・ボウ主演)や、ウィリアム・A・ウェルマン監督のアカデミー賞受賞作品「つばさ」(クララ・ボウ主演)などに出演し好評。、「アリゾナの天地」(ジョン・ウォーターズ監督)などの西部劇への出演でも評価を得る つばさ
1929 28 ヴィクター・フレミング監督「バージニアン」でウォルター・ヒューストンと共演。西部劇スターとしての地位を確立する。 バージニアン
1930 29 マレーネ・ディートリッヒのハリウッド・デビュー作、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督「モロッコ」(日本初の字幕スーパー作品)に出演。西部劇スターからハリウッドを代表する大スターの一人となる。 モロッコ
1931 30 オットー・ブローワー/デヴィッド・バートン監督「激斗の河(戦ふ隊商)」に主演。リリー・ダミタと共演 激斗の河(戦ふ隊商)
1932 31 フランク・ボーゼージ監督「戦場よさらば」で、ヘレン・レイズと共演。原作は親友ヘミングウェイ。作品はアカデミー賞4部門にノミネートされ撮影賞と録音賞を獲得。共演したヘレン・ヘイズは「もし彼に愛を告白されたら、私は夫を捨てるこっとだっていとわなかった。」とまで言い切った。 戦場よさらば
1933 32 エルンスト・ルビッチ監督の「生活の設計」でコミカルな役柄を演じ、新しいイメージを築く 生活の設計
ノーマン・Z・マクロード監督「不思議の国のアリス」でケーリー・グラントと共演。クーパーの役柄は「白馬の騎士(The White Knight)」。グラントの役柄は「作り物の亀(The Mock Turtle)」  
新人女優サンドラ・ショウと結婚  
1935 34 ヘンリー・ハサウェイ監督「ベンガルの槍騎兵」でフランチョット・トーンと共演。作品はアカデミー賞7部門にノミネートされ、助監督賞を受賞 ベンガルの槍騎兵
セシル・B・デミル監督の西部劇大作「平原児」に出演。共演者ジーン・アーサーとのコンビは翌年のアカデミー賞受賞作品「オペラハット」と同じ。 平原児
1936 35 コロムビア社からフランク・キャプラ監督の人情喜劇「オペラハット」に主演。ジーン・アーサーと再び共演。作品はアカデミー賞5部門にノミネート オペラハット
アカデミー賞主演男優賞ノミネート:「オペラハット」(この年の受賞はポール・ムニ「科学者の道」)  
1937 36 長女マリア生まれる。のちの女優マリア・クーパー  
1939 38 パラマウントとの契約が切れると、彼を見出したゴールドウィンと契約を交わして「暁の討伐隊」に出演 暁の討伐隊
1940 39 セシル・B・デミル監督の西部劇「北西騎馬警察隊」に主演しポーレット・ゴダート(チャップリンの三人目の妻)と共演。作品はアカデミー賞5部門にノミネート。編集賞を受賞 北西騎馬警察隊
アメリカの高所得者第一位にランクされる。(年間所得$482,819.)  
ウィリアム・ワイラー監督/サミュエル・ゴールドウィン製作の西部劇「西部の男」で、ウォルター・ブレナンと共演。作品はアカデミー賞3部門にノミネート。ウォルター・ブレナンが助演男優賞を受賞。 西部の男
1941 40 フランク・キャプラ監督と組んだ「群衆」で、バーバラ・スタンウィックと共演 群衆
ハワード・ホークス監督の「教授と美女」で、再びバーバラ・スタンウィックと共演。作品はアカデミー賞4部門にノミネート。 教授と美女
ハワード・ホークス監督「ヨーク軍曹」に主演し、ウォルター・ブレナンと共演。作品はアカデミー賞11部門にノミネートされ、主演男優賞(クーパー)と編集賞を受賞 ヨーク軍曹
アカデミー主演男優賞受賞:「ヨーク軍曹」  
ニューヨーク批評家協会賞男優賞受賞:「ヨーク軍曹」  
1942 41 サム・ウッド監督「打撃王」でウォルター・ブレナンと共演。作品はアカデミー賞12部門にノミネートされ、編集賞を受賞 打撃王
アカデミー賞主演男優賞ノミネート:「打撃王」(この年の受賞はジェームズ・キャグニー「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」)  
1943 42 サム・ウッド監督「誰がために鐘は鳴る」で、イングリッド・バーグマンと共演。親友ヘミングウェイ作品の映画化は二度目。作品はアカデミー賞10部門にノミネートされ、助演女優賞を獲得。 誰がために鐘は鳴る
アカデミー賞主演男優賞ノミネート:「誰がために鐘は鳴る」(この年の受賞はポール・ルーカス「ラインの監視」)  
1944 43 独立プロダクション「シネマ・アーティスツ」を設立する。  
サム・ウッド監督「サラトガ本線」で再びイングリッド・バーグマンと共演 サラトガ本線
1945 44 シネマ・アーティスツ解散。以降ヒット作に恵まれない時代が続く  
1949 48 キング・ヴィダー監督「摩天楼」で共演したパトリシア・ニールとの不倫が発覚。非難を浴びる。ニールはクーパーの子供を身ごもるが、家庭を捨てることが出来ないクーパーはニールと別れて、彼女はおなかの子供を堕ろした。 摩天楼
1952 51 フレッド・ジンネマン監督の西部劇「真昼の決闘」に主演し、グレース・ケリーと共演。この作品は低予算だったため、人気の衰えていたクーパーと新人ケリーを使った。作品はアカデミー賞7部門にノミネートされ、主演男優賞・劇・喜劇音楽賞・歌曲賞・録音賞の4部門を受賞 真昼の決闘
アカデミー主演男優賞受賞:「真昼の決闘」  
ゴールデン・グローブ賞男優賞(ドラマ)受賞:「真昼の決闘」  
1953 52 54年にかけて18ヵ月間ハリウッドを離れる。ハワイ、メキシコ、フランスを訪れ4作品を制作  
1956 55 ウィリアム・ワイラー監督「友情ある説得」で、ドロシー・マクガイアと共演。作品はアカデミー賞6部門にノミネート 友情ある説得
1957 56 ビリー・ワイルダー監督「昼下がりの情事」でオードリー・ヘプバーンと共演。 昼下がりの情事
1958 57 独立プロダクション「バローダ・プロダクション」を設立  
1961 60 マイケル・アンダーソン監督のサスペンス「六年目の疑惑」で、デボラ・カーと共演。最後の出演作品 六年目の疑惑
1961/5/13 ビバリーヒルズにて前立腺がんで死去。  
アカデミー名誉賞を贈られる。長年良きアメリカ人の典型「グッド・サム」として不動の人気を誇った。  
1966   ナショナル・カウボーイ・アンド・ウェスタン・ヘリテジ・ミュージアム(National Cowboy & Western Heritage Museum )の西部劇俳優の殿堂に加えられる  



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2006年03月12日

笠智衆年表

笠智衆年表

日本が誇る名優、笠智衆。しかし、情報が少ない・泣
年齢 出来事 主な映画作品
1904/5/13 0 玉名郡玉水村(現天水町)立花に生まれる。父淳心は浄土真宗本願寺派来照寺の住職、母トシ。次男。
 
1922 18 玉水村立玉水尋常小学校、熊本県立玉名中学校(現玉名高校)を卒業。  
住職を継ぐのがいやで熊本を出る。龍谷大学を経て東洋大学印度哲学倫理学科へ入学  
1924 20 2月 旧制の東洋大学印度哲学科を中退。松竹キネマ蒲田撮影所・俳優研究所第一期生に合格、入所する  
7月、来照寺住職であった父が死去したため熊本に帰郷、住職を継ぐ  
1925 21 兄に住職を譲り、撮影所に復帰。大部屋暮らしが始まる。月給25円。当時大部屋からスターになろうとするものはいなかった。  
1928 24 「若人の夢」で初めて小津安二郎監督作品に出演(役名なし)  
1930 26 小津安二郎監督「落第はしたけれど」に出演。初めて台本をもらう  
1936 32 小津安二郎監督に認められ「一人息子」に出演、注目を集める。以降「淑女は何を忘れたか」(37)以外のすべての小津作品に出演 一人息子
1942 38 小津安二郎監督「父ありき」で初主演 父ありき
1948 44 稲垣浩監督「手をつなぐ子等」に出演 手をつなぐ子等
同年度毎日日本映画コンクール男優演技賞受賞:「手をつなぐ子等」など  
1951 47 木下恵介監督「カルメン故郷に帰る」に出演。 カルメン故郷に帰る
小津安二郎監督「麦秋」に出演。 麦秋
ブルーリボン賞助演男優賞:「我が家は楽し」、「命美わし」  
毎日日本映画コンクール男優演技賞受賞 我が家は楽し
1952 48 小津安二郎監督「お茶漬けの味」に出演 お茶漬けの味
1953 49 小津安二郎監督「東京物語」に出演。80歳の老人の役を好演(老人特有の手の震えまで演技する) 東京物語
1958 54 小津安二郎監督「彼岸花」に出演 彼岸花
1954 50 松竹を離れてフリーとなる。  
木下恵介監督「二十四の瞳」に出演 二十四の瞳
1965 61 NHKドラマ「たまゆら」主演でテレビ初出演  
1967 63 紫綬褒章授章  
1969 65 山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズが始まる。御前様の役で以後1992年の「男はつらいよ 寅次郎の青春」まで生存中の同シリーズ全作品に出演 男はつらいよシリーズ
1970 66 山田洋次監督「家族」に出演 家族
毎日日本映画コンクール男優助演賞受賞:「家族」  
1975 71 勲四等旭日小綬賞授章  
1985 81 「東京画」(ヴィム・ヴェンダース〉に出演。日本映画の代表的俳優として外国からも注目を浴びる 東京画
1987 83 自伝「俳優になろうか」を出版  
1988 84 東京都文化賞受賞  
9月、天水町名誉町民となる  
1990 86 3月、長年の映画俳優活動をたたえられ第8回川喜多賞受賞  (川喜多賞とは)  
1993/3/16 88 がんのため死去。68年間の俳優人生。総出演作品数355本。  


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2006年03月11日

ハンフリー・ボガート年表

ハンフリー・ボガート年表

年齢 出来事 主な映画作品
1899/12/25 0 ニューヨーク州ニューヨークにて生まれる。本名Humphrey DeForest Bogart。父親は外科医。母親は雑誌のイラストレーター。家庭は裕福であった。  
ボガートの誕生日は1899年1月23日という説もあるが、ワーナー社は”クリスマス生まれ”を主張。  
1915 15 マサチューセッツ州の名門私立高校フィリップス・アカデミーに入学し、エール大学医学部を目指す  
1916頃 16 医学の勉強と学生生活が性に合わず中退し海軍に入隊。第一次世界大戦に参加  
戦闘中の負傷が原因で舌足らずになる。子供の頃に大きなとげが唇に刺さったためとの説もあるが、よりドラマチックな戦闘負傷説が有力  
1920 20 家族の友人ウィリアム・A・ブラディが所有する劇団会社の運営に参画。ブラディの娘で女優のアリス・ブラディの薦めで俳優を志すようになる。舞台で様々な端役を演じる長い下積み生活を送る。  
1922 22 舞台俳優・脚本家のAlexander Woollcottに演技が下手だと評される  
1926 26 舞台女優ヘレン・メンケンと結婚  
1927 27 ヘレン・メンケンと離婚  
1928 28 女優メアリー・フィリップスと結婚  
1930 30 20世紀フォックス社の10分の短編「Broadway's Like That」の端役で映画デビュー  
20世紀フォックス社のスクリーン・テストに合格してジョン・フォード監督「河上の別荘」で本格的な映画デビューを果たす(スペンサー・トレイシーと共演)。人気はでず。 河上の別荘
1932 32 20世紀フォックス社との契約終了。フォックス社は再契約せず。  
1934 34 ブロードウェイの舞台「化石の森」での脱獄犯デューク・マンティ役が好評を得る  
1936 36 「化石の森」映画化の話が持ち上がると、舞台で共演したレスリー・ハワードの推薦によりボガートがデューク・マンティ役に起用される。作品は大成功し、ハンフリー・ボガートも注目される。(レスリー・ハワードへの感謝から、後に自分の子供にレスリーと名づける) 化石の森
ワーナー・ブラザーズ社との専属契約を勝ち取る。以後20年近くに渡ってほとんどワーナー社専属で活動  
1937 37 サミュエル・ゴールドウィン社に貸し出され、ウィリアム・ワイラー監督「デッド・エンド」に出演、ジョエル・マクリーと共演。成功を収める デッド・エンド
1937-41   ワーナーはボガートを悪役専門の俳優として使い、「汚れた顔の天使」(38)、「彼奴(きゃつ)は顔役だ!」(39)、「愛の勝利」(39)など5年間に28本の映画で主にギャングや犯罪者として出演  
1938 38 メアリー・フィリップスと離婚  
女優メイヨ・メソッドと結婚  
1941 41 出演辞退のジョージ・ラフトに代わって起用されたラオール・ウォルシュ監督「ハイ・シェラ」に主演。逃亡犯ロイ・アール役を好演。 ハイ・シエラ
ダシール・ハメット原作・ジョン・ヒューストン監督の「マルタの鷹」に主演、メアリーアスターと共演。私立探偵サム・スペード役に大抜擢 マルタの鷹
この二本の作品でワーナーのトップスターに。ハードボイルドスターとして人気を不動のものにする  
1942 42 マイケル・カーティス監督の「カサブランカ」に主演し、イングリッド・バーグマンと共演。 カサブランカ
1943 43 アカデミー賞主演男優賞にノミネート:「カサブランカ」  
1944 44 ハワード・ホークス監督「脱出」に出演し、再び「カサブランカ」的な役を演じる。ローレン・バコールと共演。25歳年下の新人女優ローレン・バコールと意気投合。 脱出
1945 45 メイヨ・メソッドと離婚  
ローレン・バコールと結婚。バコールは「The look」の異名をとるタフな女優で通称「ベティ」。ハリウッドきってのハードボイルドカップルと言われた。ファンにも好評で、共演作品続く  
1946 46 ハワード・ホークス監督「三つ数えろ」でローレン・バコールと共演 三つ数えろ
1947 47 デルマー・デイヴィス監督の「潜行者」ローレン・バコールと共演 潜行者
独立プロダクション「サンタナ・ピクチャーズ」を設立。  
1948 48 ジョン・ヒューストン監督の「キー・ラーゴ」でローレン・バコールと共演 キー・ラーゴ
同じくジョン・ヒューストン監督の「黄金」に出演、ウォルター・ヒューストンと共演 黄金
1949 49 早川雪舟と共演した「東京ジョー」(スチュアート・ヘイスラー監督)を自らプロデュース 東京ジョー
その後もニコラス・レイ監督の「暗黒への転落」(49)など合計5作品を自分のプロダクションでプロデュース。 暗黒への転落
長男ステファンが生まれる  
1950 50 ニコラス・レイ監督の「孤独な場所で」(50)に出演して、グロリア・グレアムと共演。クールでタフなイメージを売りに安定した人気を獲得。 孤独な場所で
1951 51 ジョン・ヒューストン監督の「アフリカの女王」で、共演のキャサリン・ヘプバーンと共演。コメディ・タッチの役柄も好演 アフリカの女王
アカデミー主演男優賞を受賞:アフリカの女王  
1954 54 エドワード・ドミトリク監督の「ケイン号の叛乱」に主演し、ホセ・ファーラー、リー・マーヴィンらと共演。精神に異常をきたした船長という難しい役どころを見事に好演 ケイン号の叛乱
アカデミー賞主演男優賞にノミネート:「ケイン号の叛乱」  
テレビ・ドラマ版「化石の森」に出演しマンティ役を演じる。ローレン・バコールと最後の共演 化石の森
ビリー・ワイルダー監督「麗しのサブリナ」に出演、オードリー・ヘップバーンと共演。この時期個人的な問題から気難しく、ビリー・ワイルダーや共演のウィリアム・ホールデンとは仲が悪かった。オードリー・ヘップバーンはそれにもかかわらず仲良く接した。 麗しのサブリナ
ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の「裸足の伯爵夫人」に出演し、エヴァ・ガードナーと共演。最後のトレンチコート着用映画 裸足の伯爵夫人
1955 55 ウィリアム・ワイラー監督「必死の逃亡者」に出演して、凶悪な逃亡犯を演じ、昔ながらの貫禄のある悪役演技を披露する 必死の逃亡者
マイケル・カーティスのコメディ「俺達は天使じゃない」に出演して幅広い役柄をこなす 俺たちは天使じゃない
1956 56 マーク・ロブソン監督のサスペンス映画「殴られる男」に出演し、ロッド・スタイガーと共演。最後の映画出演 殴られる男
1957/1/14 57 バコールと5度目の映画共演作「将軍ベッドに死す」の準備中にヘビースモーキングから咽喉ガンで入院。闘病生活の末に自宅にて死去。バコールは外出していて夫を看取ることが出来なかった。その朝、出かけるバコールに声をかけた「バイバイ、キッド」が最後の言葉に。  
1960年代半ば   ボギー・ブーム。寡黙でありながら成すべきは成す男の美学に若いファンは酔いしれてカルト的な人気を獲得する。  


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ケーリー・グラント年表

ケーリー・グラント年表

(ゲイリー・クーパーのイニシャルGCを逆にして似たような響きをもった芸名としてケーリー・グラントと名づけられる)
年齢 出来事 主な映画作品
1904/1/18 0 英国ブリストル生まれ。本名はArchibald Alexander Leach。父は工員。病弱な子供時代  
1914 10 母親が精神病院に入院。その後20歳代後半まで母に会うことはなかった  
1917 13 家出し年齢を偽って少年アクロバット団ベンダース一座に入団。  
1918 14 ベンダース一座のアメリカ公演に参加。公演「Good Times」ブロードウェイで456回上演され大成功  
公演終了後アメリカにとどまり、アクロバットの地方巡業などで生活費を稼ぐ  
1927 23 オペレッタ「黄金の暁」や、舞台「ポーリー」で人気を得る。  
以後「ロザリー」や「ブーム・ブーム」などのヒット舞台に続けて出演。  
パラマウント社のスクリーン・テストを受ける。採用見送り。  
1931 27 パラマウントの短編映画「Singapore Sue」の船乗り役で映画デビュー Singapore Sue
1932 28 再びパラマウント社のスクリーン・テストを受け見事合格  
ゲーリー・クーパーの後継者として、ソフィスティケーティッド・コメディ「その夜」(フランク・タトル監督)で本格的にデビューを果たす。その夜
32年だけで7本の映画に出演  
ランドルフ・スコットと同居してホモの噂が流れる  
1933 29 舞台出身のメイ・ウェストに気に入られて「わたしは別よ」(ローウェル・シャーマン監督)「妾は天使ぢゃない」(ウェズリー・ラッグルス監督)で共演。ハリウッドで最も信頼できる男優と評される わたしは別よ
ヴァージニア・チェリルと結婚 妾は天使ぢゃない
1935 31 ヴァージニア・チェリルと離婚  
パラマウントとの契約終了。独立。  
ジョージ・キューカー監督のコメディ「男装」でキャサリン・ヘップバーンと共演。  
1937 33 レオ・マッケリー監督「新婚道中記」で、アイリーン・ダンと共演  
1938 34 スクリューボールコメディが流行、ハワード・ホークス監督のコメディ「赤ちゃん教育」で、再びキャサリン・ヘップバーンと共演 赤ちゃん教育
1939 35 ハワード・ホークス監督のアクションドラマ「コンドル」でジーン・アーサーと共演 コンドル
1940 36 ジョージ・キューカー、キャサリン・ヘップバーン、ジェームズ・スチュアートと組み「フィラデルフィア物語」に出演。ジェームズ・スチュアートがオスカー(主演男優賞)受賞。 フィラデルフィア物語
ハワード・ホークス監督のスクリューボールコメディ「ヒズ・ガール・フライデー」に主演 ヒズ・ガール・フライデー
セクシーな男らしさとコメディ演技のミスマッチで大人気に。  
1941 37 ヒッチコック監督のスリラー「断崖」で、ジョーン・フォンテインと共演。複雑で心理的なキャラクターを見事に演じて新境地を開拓。 断崖
ジョージ・スティーブンス監督の「愛のアルバム」に主演。アイリーン・ダンと共演。 愛のアルバム
アカデミー賞主演男優賞ノミネート:「愛のアルバム」  
1942 38 富豪の娘バーバラ・ハットンと結婚。  
戦争開始とともに兵士の慰問活動などに参加  
1943 39 戦意高揚映画「Destination Tokyo」で、潜水艦長を熱演  
1944 40 フランク・キャプラ監督のブラック・コメディ「老嬢と毒薬」でプリシラ・レインと共演 老嬢と毒薬
クリフォード・オデッツ監督「孤独な心」に主演し、エセル・バリモアと共演 孤独な心
アカデミー賞主演男優賞ノミネート:「孤独な心」  
1945 41 バーバラ・ハットンと離婚  
1946 42 ヒッチコック監督のスパイ・スリラー「汚名」で、イングリッド・バーグマンと共演 汚名
1947 43 ヘンリー・コスター監督の人情コメディ「気まぐれ天使」で、ロレッタ・ヤングと共演。 気まぐれ天使
1949 45 若手女優のベッツィ・ドレークと再婚。  
1950 46 リチャード・ブルックス監督のサスペンスドラマ「危機の男」に主演するがヒットせず  
1952 48 ハワード・ホークス監督の「モンキー・ビジネス」に主演するがヒットせず モンキー・ビジネス
1953 49 「ローマの休日」出演を辞退  
1954 50 引退話が持ち上がる。「ケーリー・グラントであることを忘れたい・・・」  
「スタア誕生」出演辞退  
「麗しのサブリナ」出演辞退  
ヒッチコックの説得で「泥棒成金」に出演し、グレース・ケリーと共演。大ヒットで第二の黄金期を迎える 泥棒成金
1957 53 スタンリー・クレイマー監督の「誇りと情熱」に出演。共演したソフィア・ローレンに夢中になるが相手にされず 誇りと情熱
「戦場にかける橋」出演辞退  
「昼下がりの情事」出演辞退  
すれ違いメロドラマの古典となったレオ・マッケリー監督「めぐり逢い」でデボラ・カーと共演 めぐり逢い
1958 52 スタンリー・ドーネン監督のコメディ「無分別」で、再度イングリッド・バーグマンと共演。 無分別
1959 55 独立プロ、グラナード・プロダクションを設立  
ブレイク・エドワーズ監督のコメディ「ペティコート作戦」を製作。トニー・カーティスと共演。グラント出演作の中でも最高の収益  
ヒッチコック監督「北北西に進路を取れ」で、エヴァ・マリー・セイントと共演 北北西に進路を取れ
ドレイクとの結婚生活もうまくいかず、別居してから精神療法を受けるようになり、麻薬のLSDにも手を出す  
1962 58 デルバート・マン監督のコメディ「ミンクの手ざわり」でドリス・デイと共演 ミンクの手ざわり
ベッツィ・ドレークと離婚  
1963 59 スタンリー・ドーネン監督の「シャレード」でオードリー・ヘップバーンと共演 シャレード
1964 60 英国アカデミー賞男優賞(国外)ノミネート:「シャレード」  
1965 61 若手女優ダイアン・キャノンと再婚。年齢差は33歳  
ダイアン・キャノンがグラントのLSD常用を暴露。世間の話題となる  
1966 62 最後の映画出演、チャールズ・ウォルターズ監督の「歩け、走るな」(66)。引退宣言。 歩け、走るな
ダイアン・キャノンとの間に娘ジェニファー誕生。ダイアンとは別居する  
1968 64 化粧品会社ラエット=ファベルジュの重役に就任  
1970 68 アカデミー名誉賞を受賞  
1980 76 TV番組でホモ説をネタにしたチェビー・チェイスを告訴  
1986/11/29 82 アイオワ州ダベンポートの講演先の劇場でにて脳卒中のため急死  


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2006年03月05日

グレース・ケリー年表

グレース・ケリー年表

年齢 出来事 主な映画作品
1929/11/12 0 ペンシルバニア州フィラデルフィアの裕福な家庭に生まれる。本名Grace Patricia Kelly。4人兄妹の三女。父Jack Kellyはアイルランド移民の建築会社社長でオリンピックで金メダルを得たこともある。母Margaret Majorはドイツ系の元モデル。  
1941 12 演技に興味を示し、アマチュア劇団に参加。  
1947 18 高校卒業後、父親の反対を押し切ってニューヨークに移りアメリカ舞台芸術アカデミーに入学。モデルのアルバイトをしながら演技を学ぶ。  
1949 20 舞台『父』でブロードウェイ・デビュー。  
1951 22 20世紀フォックス社の目にとまり『Fourteen Hours』(51)に端役として出演。映画デビュー。興行的には失敗。 Fourteen Hours
1952 23 『Fourteen Hours』を観たスタンリー・クレイマー監督により『真昼の決闘』のヒロインに抜擢。ゲーリー・クーパーの若妻を好演。一躍脚光を浴びる。 真昼の決闘
1953 24 MGM社と専属契約を交わす。  
ジョン・フォード監督『モガンボ』に出演しクラーク・ゲイブルと共演。清楚でエレガントな魅力より、人気を不動のものとする。 モガンボ
アカデミー賞助演女優賞ノミネート:モガンボ  
1954 25 アルフレッド・ヒッチコック監督「ダイヤルMを廻せ』に主演し大ヒット。ヒッチコックのお気に入りの女優となる。共演者で妻子あるレイ・ミランドとのロマンスが話題となる。この役ははじめジェニファー・ジョーンズにオファーされたが、妊娠中のため出演できなかった。 ダイヤルMを廻せ!
引き続きヒッチコック『裏窓』に主演し、 ジェームズ・スチュワートと共演。映画は大ヒット。 裏窓
アンドリュー・マートン監督『緑の火・エメラルド』、ジョージ・シートン監督の『喝采』など54年に5本の映画に出演。「喝采」ではビング・クロスビーと共演し、情緒不安定の人妻を演じて絶賛を浴びる。 喝采
アカデミー賞主演女優賞受賞:喝采  
1955 26 ヒッチコック監督3作目『泥棒成金』で、ケーリー・グラントと共演。 泥棒成金
カンヌ映画祭のために南仏を訪れ、「パリ・マッチ」誌の企画でモナコ王国レーニエ大公と出会う。  
1956 27 レーニエ大公と結婚。世界中の話題となる  
チャールズ・ヴィダー監督の『白鳥』でアレック・ギネスと共演。ケリーは王女役を演じ、引退記念作品としての位置づけ。 白鳥
チャールズ・ウォルターズ監督『上流社会』でビング・クロスビーと再び共演。大成功を収める。 ビング・クロスビーとデュエットした「トゥルー・ラブ」が100万枚を超える大ヒットを記録。 上流社会
M-G-M社との契約終了まで俳優業を続けることを望んだが、レーニエ大公の意向を受けて映画界から引退。彼女の映画はモナコ公国内では上映禁止となる(レーニエ大公の命令)  
1957 28 長女カロリーヌを出産。マスコミの取材で妊娠中の腹部を隠したエルメスのバックがケリーバックとして有名になる。  
1958 29 長男アルベールを出産  
1959 30 ハンガリア人難民救済の功績でオーストリア政府から表彰される  
1961 32 スペクタクル 史劇『キング・オブ・キングス』(61)に出演の話があるが実現せず  
1964 35 ヒッチコック監督『マーニー』(64)で映画復帰への話が持ち上がったが、モナコ国民の反対もあり実現せず。”私にとっては家族と新しい祖国が最優先なのです・・・”(ヒッチコックへの断りの手紙)  
1965 36 次女ステファニーを出産  
1966 37 麻薬撲滅キャンペーン映画「悪のシンフォニー」にグレース妃として特別出演  
モナコ公国の芸術・文化振興に貢献。グレース王妃基金、ガーデン・クラブ、モナコ・バレエ団などを設立など  
1982/9/14 52 次女ステファニーとMonacovilleをドライブ中、心臓発作に見舞われて事故を起こし、翌日脳内出血が原因で死亡。事故の真相はいまだに不明。モンテカルロのセント・ニコラス大聖堂に埋葬される。  

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2006年02月25日

イングリッド・バーグマン年表

イングリッド・バーグマン年表

年齢 出来事 主な映画作品
1915/8/29 0 スウェーデンストックホルム生まれ。父は写真家/画家母はドイツ人  
1917 2 母親と死別  
1927 12 父親と死別。叔父に引き取られる。外見は明るくても孤独な少女時代  
1932 17 「Landskamp」(スウェーデン映画)に出演。クレジットなし。叔父は彼女が女優の道を志すことには反対  
1933 18 女学校を卒業しスウェーデンの王室演劇学校に入学75人の中から8人に選ばれる。  
1934 19 スウェーデンの映画会社スヴェンクス・フィルムに招かれる  
1935 20 「ムンクブローの伯爵」に小さな役で出演(役名Elsa Edlund、セリフあり)。映画デビュー ムンクブローの伯爵
1936 21 「間奏曲」に出演。スウェーデン映画界でのスターとしての地位を確立。作品がセルズニックの目に留まりハリウッド進出のきっかけとなる 間奏曲
1937 22 歯科医ピーター・リンドストロームと結婚。  
1938 23 長女ピア誕生(女優Pia Lindstrom)  
1939 24 「別離」に主演。セルズニックによる「間奏曲」のハリウッドリメイク版。ハリウッド・デビュー作。 別離
セルズニックと7年間の専属契約を結び11本の映画に出演する  
契約によりスウェーデンに帰国。「一夜かぎり」(39)と「六月の夜」(40)に出演  
1942 27 「カサブランカ」ではハンフリー・ボガートと共演し好評。バーグマン人気に火がつく カサブランカ
1943 28 サム・ウッド監督「誰がために鐘は鳴る」に主演。ゲーリー・クーパーと共演バーグマン人気は不動のものに。 誰がために鐘は鳴る
アカデミー賞主演女優賞ノミネート:「誰がために鐘は鳴る」  
1944 29 ジョージ・キューカー監督「ガス燈」に主演。シャルル・ボワイエと共演 ガス燈
アカデミー賞主演女優賞受賞:「ガス燈」。  
ゴールデン・グローブ女優賞受賞:「ガス燈」  
1945 30 レオ・マッケリー監督「聖メリーの鐘」に主演し、ビング・クロスビーと共演 聖メリーの鐘
アカデミー賞主演女優賞ノミネート:「聖メリーの鐘」 白い恐怖
ゴールデン・グローブ女優賞受賞:「聖メリーの鐘」  
ヒッチコック作品に始めて出演「白い恐怖」  
NY批評家協会賞女優賞受賞:「聖メリーの鐘」「白い恐怖」  
1946 31 続いてヒッチコック「汚名」に出演。この頃から商業主義の強いハリウッド映画に満足できなくなり、本格的な演技派女優の道を模索し始める。 汚名
ハリウッドのドル箱女優No.1に。  
1947 32 セルズニックとの契約終了再契約を希望するセルズニックを断り独立  
1948 33 演技派を志したバーグマン念願の大作「ジャンヌ・ダーク」(ヴィクター・フレミング監督)は大失敗。オリジナル145分の作品はその後100分に短縮された。以降興行的不振が続く ジャンヌ・ダーク 
アカデミー賞主演女優賞ノミネート:「ジャンヌ・ダーク」  
ルイス・マイルストン監督作品「凱旋門」もヒットせず 凱旋門
1949 34 ヒッチコック監督三作目、制作費250万ドル以上の大作「山羊座のもとに」。ヒッチコック作品最低の興行成績を記録。「バーグマンを獲得さえすればうまくいくと思ったのが最大の間違いだった(byHitchcock)。ヒッチコックの独立プロダクション倒産 山羊座のもとに
「ストロンボリ神の土地」撮影のためイタリアへ。ロベルト・ロッセリーニ「無防備都市」を見て感動したバーグマンはロッセリーニに熱烈な手紙を送り、感激したロッセリーニがこの作品をつくる。
「親愛なるロッセリーニ様
あなたの二本の映画『無防備都市』と『戦火のかなた』を拝見して大変感銘を受けました。
もしあなたが、英語は上手に話すけれどドイツ語はほとんど忘れ、フランス語はよくは理解できず、イタリア語にいたっては”Ti Amor(I love you.)"だけしか知らないスウェーデン生まれの女優をお入用でしたら、いつでもすぐに駆けつけて一緒に映画を作る用意が私にはございます。
  親愛をこめて」
 
初めてパリでロッセリーニに会う。夫ピーターも同伴。夫はこの時期バーグマンのマネジャー兼ねていた  
1950 35 家族を捨ててイタリアのロッセリーニのもとへ。ハリウッドからは追放処分となる。  
「ストロンボリ神の土地」 二人の不倫劇はハリウッドで非難の的となり本作品も批評家・観客の両方から酷評される ストロンボリ神の土地
ロッセリーニとの間に男子ロベルティーノを出産。  
離婚を拒むリンドストローム抜きで離婚を成立させ、ロッセリーニと結婚する。長女ピアはリンドストロームが引き取る  
1952 37 「ヨーロッパ一九五一年」も興行的には失敗(作品自体はヴェネチア国際映画賞国際賞を受賞)。ロッセリーニ・バーグマンは破産状態となる。  
ロッセリーニとの間に双子の女子誕生。長女は女優イザベラ・ロッセリーニ。次女はメイクアップアーチストになったイゾッタ。  
娘ピアを夏休みの間だけでもイタリアに呼びたいと希望するが、リンドストロームに拒否される。裁判所に陳情までするが、審理でのピアノ証言は「好きだけれど私はママを愛してはいません。愛しているのはパパです」  
1956 41 ロッセリーニとの結婚生活破局   
ジャン・ルノワール監督のフランス映画「恋多き女」に出演。コメディエンヌとして新境地を開く。 恋多き女
また、彼女のハリウッドへの復帰を望む人々の手で企画された、アナトール・リヴァク監督「追想」に主演し、ユル・ブリンナーと共演。ハリウッドに復帰を果たす 追想
アカデミー主演女優賞受賞:「追想」  
NY批評家協会賞女優賞受賞:「追想」  
ゴールデン・グロープ女優賞(ドラマ):「追想」   
1957 42 ロッセリーニと夫のあるインド人女性との不倫が直接の原因となって離婚成立。結局ロッセリーニとの間にヒット作は生まれなかった。  
1958 43 ラルフ・シュミットと再婚。スウェーデンの富豪の出で、演劇プロデューサー  
「六番目の幸福」 六番目の幸福
英国アカデミー賞主演女優賞ノミネート:「六番目の幸福」  
1964 49 「黄色いロールス・ロイス」に出演。レックス・ハリスン、アラン・ドロン、シャーリー・マクレーン、オマー・シャリフなどが共演したオムニバス作品。 黄色いロールス・ロイス
1969 54 「サボテンの花」(ジーン・サックス監督)に出演。競演したゴールディ・ホーンが初のオスカー獲得(助演女優賞)  
1970 55 ラルフ・シュミットと離婚  
1972 57 自伝「My Story」出版  
1974 59 アガサ・クリスティ原作のオール・スターミステリー映画「オリエント急行殺人事件」(シドニー・ルメット監督)に出演 オリエント急行殺人事件
アカデミー助演女優賞受賞:「オリエント急行殺人事件」   
英国アカデミー賞助演女優賞受賞:「オリエント急行殺人事件」  
1978 63 イングマール・ベルイマンの要望で故国スウェーデンに戻って「秋のソナタ」に出演。絶賛。最後の映画出演 秋のソナタ
アカデミー賞主演女優賞ノミネート:「秋のソナタ」  
全米批評家協会賞主演女優賞受賞:「秋のソナタ」  
NY批評家協会賞女優賞受賞:「秋のソナタ」  
ドナテッロ賞受賞(イタリアのアカデミー賞)  
1982 67 テレビ・ドラマ「A Woman Called Golda」(TV)に出演  
エミー賞受賞:「A Woman Called Golda」  
1982/8/29 67 癌のためロンドンで死去。数人の友人と誕生パーティーを開いた後だった・・・。  


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2006年02月24日

ジェームズ・スチュワート年表

ジェームズ・スチュワート年表

年齢 出来事 主な映画作品
1908/5/20 0 ペンシルバニア州インディアナで生まれる。両親は金物店を経営。本名ジェームズ・メイトランド・スチュワート  
1932 24 プリンストン大学で建築学と都市工学を学び1932年に卒業。不況で仕事がなく、学生演劇集団「ユニバーシティ・プレイハウス・グループ」に参加し俳優を目指す  
1933頃 25 劇団で知り合ったヘンリー・フォンダらと共にニューヨークに移って共同生活をはじめる  
1935 27 MGMのスクリーン・テストを受け「舗道の殺人」で映画デビューを飾る。 舗道の殺人
1936 28 「超スピード時代」で初の主役に。  
1938 30 コロンビア社レンタルで「我が家の楽園」に出演。フランク・キャプラ監督に気に入られる 我が家の楽園
1939 31 フランク・キャプラ監督「スミス都へ行く」に出演、映画は大ヒットを記録 スミス都へ行く
アカデミー主演男優賞ノミネート:スミス都へ行く  
NY批評家協会賞受賞:スミス都へ行く  
1940 32 「フィラデルフィア物語」でキャサリン・ヘプバーン/ケーリー・グラントと共演 フィラデルフィア物語
アカデミー主演男優賞受賞:フィラデルフィア物語  
第二次世界大戦勃発とともに空軍に入隊。エース・パイロットとして活躍し、ハリウッド俳優としては最高位の大佐に昇進(ロナルド・レーガンを除く)  
1946 38 フランク・キャプラ監督「素晴らしき哉、人生!」に出演。 素晴らしき哉、人生!
アカデミー主演男優賞ノミネート:素晴らしき哉、人生!  
アカデミー賞のホストをつとめる  
1947 39 ブロードウェイに戻って舞台「ハーヴェイ」に出演。大成功を収める。  
1948 40 アルフレッド・ヒッチコック監督の「ロープ」に出演(最初はケーリー・グラントの予定だった)。以後ヒッチコック映画には欠かせない男優となる。 ロープ
1949 41 Gloria Hatrick McLeanと結婚(女優グロリア・スチュワート)。グロリアには二人の連れ子があった  
1950 42 俳優として始めて出演料+興行成績に応じた歩合の契約を結ぶ。 ハーヴェイ
アカデミー主演男優賞ノミネート:ハーヴェイ ウィンチェスター銃`73
1951 43 グロリアとの間に双子の娘Judyと Kellyが生まれる。4人の子供。  
1952 44 「地上最大のショウ」で全編ピエロのメイクで出演 地上最大のショウ
1954 46 「グレン・ミラー物語」でタイトル・ロールをそっくりに演ずる グレン・ミラー物語
英国アカデミー賞男優賞(国外)受賞:グレン・ミラー物語 裏窓
1955 47   ララミーから来た男
1956 48   知りすぎていた男
1958 50 アカデミー賞のホストをつとめる(二度目) めまい
1959 51 オットー・プレミンジャー監督「或る殺人」に主演 或る殺人
アカデミー主演男優賞ノミネート:或る殺人  
ヴェネチア国際映画祭男優賞受賞:或る殺人  
NY批評家協会賞男優賞受賞:或る殺人  
英国アカデミー賞男優賞(国外)受賞:或る殺人  
「北北西に進路を取れ」のロジャー・ソーンヒル役を熱望するも、「めまい」(1958)の興行的失敗に関するヒッチコックとのいざこざでソーンヒル役はケーリー・グラントに。以後、ヒッチコック作品に出演することはなかった  
1961 53 ジョン・フォード「馬上の二人」に出演。この頃から興行的には下火になる 馬上の二人
1962 54 続いてジョン・フォード「リバティ・バランスを射った男」に出演 リバティ・バランスを射った男
ベルリン国際映画祭男優賞受賞:H氏のバケーション H氏のバケーション
1966 58   飛べ!フェニックス
1968 60 「ファイヤークリークの決斗」でヘンリー・フォンダと共演「ファイヤークリークの決斗」  
1970 62 「テキサス魂」ではフォンダと再共演を果たす テキサス魂
テキサス尊撮影中に海兵隊としてベトナムに従軍していた長男ロナルド(グロリアの連れ子)が戦死  
1971 63 1971「陽気なハワード一家」(TVシリーズ) TVへの出演が増える  
1972 64 「Hawkins」(TVシリーズ)  
1976 68   ラスト・シューティスト
1977 69   エアポート'77
1980 72 アメリカ映画協会(AFI)生涯功労賞(Life Achievement Award) 受賞  
1981 73 「アフリカ物語」の老人役が最後の映画出演 アフリカ物語
1983 75 ケネディセンター名誉賞受賞  
ブリガムヤング大学に彼の作品が寄贈される  
1984 76 アカデミー名誉賞受賞  
1985 77 旧知の友レーガン大統領より自由勲章を授章される。アメリカ国民として最高に栄誉のある賞  
カンヌ国際映画祭生涯功労賞受賞  
1991 83 アニメーション映画「アメリカ物語2」での声の出演を最後に映画界から離れる。 アメリカ物語2
1995 87 ペンシルバニア州インディアナに「ジェームズ・スチュワート博物館」設立  
1997/7/2 89 心不全により死去 ハリウッドのほとんどの有名人を含む3000人以上が葬儀に参列  


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2006年02月22日

ヴィヴィアン・リー年表

ヴィヴィアン・リー年表

ローレンス・オリヴィエとの愛に生き、身体と心の病いと戦いながら舞台・映画に挑み続けた壮絶な生涯。

年齢 年表 主な映画作品
1913/11/5 0 インドのダージリンに生まれる。本名はVivian Mary Hartley。父アーネストはカルカッタの株式仲買人で楽天的な自由主義者。母ガートルートは敬虔なカトリック信者  
1916 3 乳母を回教徒からカトリック信者に変え英国人としての宗教教育を始める(放蕩者の父親に対する危機感から、母親は娘を厳しく育てようとしたらしい)  
1918 5 母親の強い希望によりロンドンにある修道院の寄宿学校に入学。上流階級の娘として教育を受ける(通常の入学年齢より二歳若かった)  
1921 8 俳優に興味を持ち学生劇に参加  
1921年頃
から
 8 コメディ・フランセーズの女優アントワーヌから演技を学ぶ  
1931 18 イギリス王立演劇アカデミーに入学  
1932 19 弁護士ハーバート・リー・ホルマンと結婚  
1933 20 娘スーザンが生まれる  
1934 21 映画デビュー:「Things Are Looking Up」 Things Are Looking Up
アレキサンダー・コルダのロンドン・フィルム社と映画出演契約  
舞台「一代記」で初めてローレンス・オリヴィエに出会う  
1935 22 舞台「美徳の仮面」に出演。ローレンス・オリヴィエが彼女の才能と美貌を認める  
1937 24 無敵艦隊に出演し、ローレンス・オリヴィエと熱烈な恋に落ちる 無敵艦隊
舞台「ハムレット」、映画「二十一日間」でロレンス・オリヴィエと再共演 二十一日間
1939 26 「嵐が丘」出演のためローレンス・オリヴィエが渡米。ヴィヴィアンは寂しさのため酒・タバコ・過食にふける 風と共に去りぬ
ローレンス・オリヴィエを追って米国に渡る  
デビッド・O・セルズニックに抜擢され「風と共に去りぬ」に主演   
セルズニックと7年間の独占契約をむすぶ  
アカデミー主演女優賞受賞:風と共に去りぬ   
NY批評家協会賞女優賞受賞:風と共に去りぬ   
1940 27 ローレンス・オリヴィエの演出・主演による舞台『ロミオとジュリエット』のブロードウェイ公演でジュリエットを演じる 哀愁
ローレンス・オリビエと再婚(8月)   
1941 28   美女ありき
1943 30 オリヴィエ主演の映画「ハムレット」に出演を希望するが、セルズニックとの契約により実現せず  
1945 32 ジョージ・バーナード・ショー原作「シーザーとクレオパトラ」撮影中に結核で倒れて流産 シーザーとクレオパトラ
舞台出演をめぐってセルズニックから契約不履行訴訟を起こされる⇒リー勝訴。セルズニックとの契約解除   
肺結核にかかる。ローレンス・オリヴィエの献身的な介護   
躁うつ病、発作・ヒステリー頻発し始める   
1947 34 ローレンス・オリヴィエ演出の舞台劇「欲望という名の電車」でブランチ役を演じ絶賛を浴びる   
ローレンス・オリヴィエにナイトの称号。批評家はオリヴィエの妻としてのヴィヴィアンに辛く当たりだす。躁うつ病の悪化  
1948 35 ローレンス・オリヴィエとともに舞台劇のオーストラリア公演を行い大成功 アンナ・カレニナ
1951 38 映画「欲望という名の電車」にブランチ役で主演 欲望という名の電車
アカデミー主演女優賞受賞:欲望という名の電車  
ヴェネチア国際映画祭女優賞:欲望という名の電車  
NY批評家協会賞女優賞受賞:欲望という名の電車  
1952 39 英国アカデミー賞主演女優賞:欲望という名の電車  
1953 40 「巨像の道」撮影に参加するも、ヒステリーのため降板(代役はエリザベス・テイラー)  
1955 41 オリヴィエとともに舞台「12夜」「タイタス・アンドロニカス」「マクベス」に出演  
1956 43 二度目の流産  
1960 47 ローレンス・オリヴィエと離婚  
舞台「天使たちの決闘」に出演。躁うつ病の症状をショック療法で抑えながら  
1961 48 元夫ハーバート・リー・ホルマンによる献身的な介護(ヴィヴィアンが亡くなるまで・・・・) ローマの哀愁
1963 50 初の舞台ミュージカル「タワリシチ」歌とダンスが絶賛を浴びる  
トニー賞主演女優賞:タワリシチ  
1965 52 最後の映画出演:愚か者の船 愚か者の船
1967/7/7 54 結核の発作のため死去  


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posted by FROST at 16:09| 埼玉 🌁| Comment(6) | TrackBack(0) | 俳優特集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グレゴリー・ペック年表

グレゴリー・ペックの作品を続けて観ましたので、とりまとめをしておこうと思いたちました。 まずは、年表。今後も順次加筆していこうと思いますので作成中ということで。「主な映画作品のリンクからレビューをご覧いただけます。

グレゴリー・ペック年表

年齢 出来事 主な映画作品
1916/4/5 0 カリフォルニア州 ラ・ホヤに生まれる本名はEldred Gregory Peck。父はサン・ディエゴの薬剤師  
1921 5 両親離婚により祖母に引き取られる毎週末祖母と映画館に  
1934頃 18 カリフォルニア州立大学医学部入学  
1935頃 19 一時中退家計を助けるため石油会社で働く  
1936頃 20 ボート部に所属するも脊髄を痛め、スポーツの道を断念  
大学3年の頃から演劇に興味を持ち始める  
1938頃 22 ニューヨークに移り、ネイバーフッド・プレイハウス劇団に入団  
1940 24 コーネル・マクリンティック劇団に入団  
1942 26 ブロードウェイ・デビュー「The Morning Star」  
グレタ・ライスと結婚。劇団所属のヘア・メイク係  
1944 28 RKOからハリウッド・デビュー 炎のロシア戦線
20世紀FOXと専属契約 このころ戦争による俳優不足でひっぱりだこ  
ジョン・M・スタール監督「王国の鍵」でトーマス・ミッチェルと共演 王国の鍵
アカデミー主演男優賞ノミネート:「王国の鍵」(この年の受賞はレイ・みらんど「失われた週末」)  
長男Kukkonen, Jonathan 生まれる  
1945 29 次男Stephen生まれる  
1946 30 ヒッチコック監督「白い恐怖」でイングリッド・バーグマンと共演 白い恐怖
スペンサー・トレイシーの代役で出演したクラレンス・ブラウン監督「子鹿物語」でジェーン・ワイマンと共演。 子鹿物語
アカデミー主演男優賞にノミネート:「子鹿物語」(この年の受賞はフレデリック・マーチ「我等が生涯の最高の年」)  
ゴールデン・グローブ男優賞受賞:子鹿物語 白昼の決闘
1947 31 アカデミー主演男優賞ノミネート:紳士協定(この年の受賞はロナルド・コールマン「二重生活」) 紳士協定
二度目のヒッチコック監督作品「パラダイン夫人の恋」で、アリダ・ヴァリと共演 パラダイン夫人の恋
1949 33 アカデミー主演男優賞ノミネート:頭上の敵機(この年の受賞はブロデリック・クロフォード「オール・ザ・キングスメン」) 頭上の敵機
三男Carey生まれる  
1950 34 NY批評家協会賞男優賞受賞:頭上の敵機  
ヘンリー・キング監督「拳銃王」に出演。 拳銃王
スタジオとの契約更新を断りフリーになったため、大手スタジオから干される  
ゴールデン・グローブ「世界で最も好かれた男優」  
1953 37 ヨーロッパに拠点を移し、ランナウェイ映画に出演 ローマの休日
ヘンリー・キング監督「キリマンジャロの雪」で、エヴァ・ガードナーと共演。 キリマンジャロの雪
1954 38 独立プロダクション設立  
1955 39 グレタ・ライスと離婚  
フランス人記者ヴェロニカ・ハサニと再婚  
1956 40 ジョン・ヒューストン監督「白鯨」でイメージチェンジ。作品としてはヒットせず 白鯨
1958 42 ウィリアム・ワイラー監督「大いなる西部」でジーン・シモンズと共演。これも作品としてはヒットせず 大いなる西部
1961 45 J・リー・トンプソン監督「ナバロンの要塞」で、デヴィッド・ニヴン、アンソニー・クインらと共演。大ヒットを記録し人気復活 ナバロンの要塞
1962 46 ロバート・マリガン監督「アラバマ物語」に出演。 アラバマ物語
アカデミー主演男優賞獲得(初):アラバマ物語  
ゴールデングローブ男優賞受賞:アラバマ物語  
ヘンリー・ハサウェイ他監督の「西部開拓史」に出演 西部開拓史
J・リー・トンプソン監督「恐怖の岬」でロバート・ミッチャムと共演  恐怖の岬
1963 47 英国アカデミー賞男優賞(国外)ノミネート:アラバマ物語   
1966 50 スタンリー・ドーネン監督「アラベスク」でソフィア・ローレンと共演 アラベスク
1967 51 ジーン・ハーショルト友愛賞受賞(アカデミー賞への多大な貢献により)  
第17代アカデミー協会会長に就任(70年まで)  
1969 53 J・リー・トンプソン監督「マッケンナ」の黄金でオマー・シャリフと共演 マッケンナの黄金
1972 56 映画制作に進出 The Trial of the Catonsvill Nine(製作)
1974 58   ダブ(製作)
1975 59 長男ジョン自殺  
1976 60 リチャード・ドナー監督「オーメン」に出演(息子が自殺した翌年に、子供を殺そうとする役に出たということですね・・・・・) オーメン
1977 61 ジョセフ・サージェント監督「マッカーサー」に出演 マッカーサー
1978 65 フランクリン・J・シャフナー監督「ブラジルから来た少年」で、ローレンス・オリヴィエらと共演 ブラジルから来た少年
自伝「An Actor's Life」出版  
1980 67 TVに活動をシフト  
1989 73 アメリカ映画協会(AFI)生涯功労賞受賞 私が愛したグリンゴ
カンヌ国際映画祭特別賞受賞  
1991 75   アザー・ピープルズ・マネー
  ケープ・フィアー
1998 82 最後の映画出演:モービー・ディック モービー・ディック
2003/6/4 87 AFI「最も偉大な映画のヒーロー」に選ばれる:アラバマ物語主役アティカス・フィンチ  
2003/6/12 87 老衰によりロサンゼルスで死去  
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posted by FROST at 10:42| 埼玉 🌁| Comment(3) | TrackBack(1) | 俳優特集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月13日

ジーン・セバーグ

jean_1961.gif

勝手にしやがれ”(ゴダール)

のホテルでのジャン・ポール・ベルモンドとのシーンに見とれ、


悲しみよこんにちは

の黒いドレス(ジバンシーなんだって)にやられます。



こんなサイト発見→Saint Jean
セシルカットでないセバーグもあり
posted by FROST at 01:24| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳優特集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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