”LA COMMARE SECCA”
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
製作:アントニオ・チェルヴィ
原案:ピエル・パオロ・パゾリーニ
脚本:ベルナルド・ベルトルッチ/セルジオ・チッティ
撮影:ジャンニ・ナルツィージ
音楽:ピエロ・ピッチオーニ
出演:フランチェスコ・ルイウ
ジャンカルロ・デ・ローザ
アルフレード・レッジ
アレン・ミジェット
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もともとはパゾリーニが監督するはずだったとも聞く。ラスト・エンペラーなどで知られるベルトルッチ監督21歳の時のデビュー作品。
先日レビューした”美女と野獣”の監督コクトーが詩人であったが、ベルトルッチも詩の素養がある。詩的な感性は映像の感性に共通するところがあるらしく、この作品でも映像の美しさが印象に残る。
テーベレ河沿いの公園にかかる自動車道路を見上げる映像で映画は始まる。自動車のエンジン音が聞こえてきて、車は見えないが橋の上を通過したと思しきときにパッと新聞をちぎった紙ふぶきが橋から舞う。ひらひらと新聞紙が舞い落ちたところに娼婦の死体。同時に拍子抜けするほど穏やかなギターのメロディが流れ出し、オープニングクレジットが始まる。
このオープニングは一見の価値あり。詩的感性もとより皆無ではあるが、それでもその”詩的”美しさに見惚れてしまう。
物語は、娼婦殺しの参考人を尋問する取調室が舞台であるが、ほとんどは尋問される者たちの回想シーンである。ここのフラッシュバックが黒澤明監督の『羅生門』の影響を受けているらしいのだが、残念ながら『羅生門』は未見。残念。
公園のアベックの荷物を置き引きするチンピラや、金貸し女のヒモ、休暇中の兵士、木のサンダルで夜毎歩き回る男などが、順に取調べを受け事件当日の行動を語る。どれも普通の市民の普通の日常だがロケによるリアリティに徹した映像がイタリア映画らしい。
回想シーンの終わり近くで必ず雨が降る。同じ時間帯を描いているので当然でなのだが、この雨が次々に語られる物語が平行して起きていることを観客に思い出させ、物語が折り重なる迷宮のような印象を与える。
そして、すべての回想は殺しのおきる夜の公園にたどり着く。この夜の公園の描写が詩人の面目ここにありというくらい極めて秀逸。参考人の男たちはそれぞれ公園にいて、どの回想場面にも共通して殺された女が小さく写っている。それぞれの男たちが他の参考人たちを目撃しており、その証言内容に沿って同じ場面が違うアングルで再現される。映像の迷宮は最高潮に達する。
ラストはダンスホールで犯人が逮捕されるシーンで終わるが、ダンスのリズムに合わせて犯人が明らかになるシーンもそのアイデアが冴えている。
21歳の処女作とはとても思えない秀作であった。★★★★☆
殺し | |
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私が今まで観た一番の長尺作品が『1900年』(原題 NOVECENT/上映時間 5時間16分)です。
ベルトルッチはどうしても大作のイメージが強いのですがこういう作品も観てみたいです。