
監督: ルネ・クレマン
出演: マリア・シェル
フランソワ・ぺリエ
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ネタバレバレ
救いがない・・・・のかなぁ、やっぱり。
フランス自然主義文学の巨匠エミール・ゾラの同盟小説を、「禁じられた遊び」「太陽がいっぱい」のルネ・クレマン監督が忠実に映画化したと言われる本作。
自然主義文学とは、”自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定する。”(by Wikipedia)ということであるから、映画としてもその趣旨に則っている。
19世紀のパリの労働者の暮らしぶりがりアルに伝わってくる。石畳とレンガの建物が息苦しい雰囲気をかもし出す町並み。 アパートの部屋は狭く、家族が折り重なるように暮らしている。一生懸命働いても大して贅沢ができるわけではなく、彼らは慎ましやかに日々生活している。作品中盤で描かれる誕生日パーティーのシーンは、そんな貧しい彼らのささやかな楽しみ。たまのご馳走を楽しみながら飲み歌う姿が印象的だ。パリの労働者の生活ぶりは、どう飾られることもなく、そのようにゴロリと観客の前に投げ出される。うーん、自然主義だ。
そういうパリの下町生活を舞台として5種類の人間が登場する。
・洗濯屋を営む主人公のジェルヴェーズ:真面目な働き者。
・ジェルベーズの元夫(内縁)ランチエ:自分勝手な放蕩者
・現在の夫で屋根職人のクポー:自堕落な怠け者
・彼女に思いを寄せる鍛冶職人グージェ:自尊心にあふれる潔癖な理想主義者
・過去に諍いがあったが現在は友人(のフリ)のヴィルジニー:計算高い野心家
真面目な働き者のジェルヴェーズは、毎日を生き抜くために必死に働く。ランチエと二人の子供と共に暮らしていたが、ランチエはヴィルジニーの妹と良い仲になってしまい、突然姿を消してしまう。そのことで、ヴィルジニーと大喧嘩(このシーンはすごいよ)をした彼女は一念発起してせっせと働き、クポーと出会ってささやかな家庭を築き、洗濯屋の店も持つ。
しかし、順風満帆にことは運ぶのかと思いきや、そうはうまくいかない。仕事中に怪我をして働く意欲をなくし、酒びたりになるクポー。突然現れて、間借り人として住み着いてしまうランチエ。クポーとランチエが彼女の店と生活をぼろぼろにしていくさまは、見ていて痛々しい。なにかとジェルヴェーズを支えてくれたグージェは、彼女とランチエの仲を疑い、自尊心が傷つくことに耐えられず去っていく。
これが、アメリカ映画なら、やはり働き者の主人公が最後の最後には幸せをつかみハッピーエンドになるだろう。
しかし、フランスではそう単純にはいかないものらしい。
真面目な働き者だったジェルヴェーズは、現実に打ちのめされて酒に浸り、虎視眈々と彼女への復讐を狙っていたヴィルジニーが、自分さえ良ければなんでもOKのランチエと手を組んで、店をのっとり幸せをつかむ。
現実の世の中で、このようなことが起きないかといえば、絶対無いとは言い切れない。そして誰もがこういう困難を乗り越えて、明るい将来を信じて生きていけるかというと、やはり必ずしもそうではない。この映画がそういうきびしい現実を優れた観察力で生々しく描写している秀作であるということは疑う余地はない。自然主義にのっとる作品をいくつも観たわけではないが、傑作の一本であることは間違いないだろう。
しかし、”それを映画として観たいか”なんだよなぁ。問題は。
自分としては、ラストシーンに希望を託したいと思う。ジェルヴェーズの娘ナナが、汚い身なりでヴィルジニーの店に現れてあめ玉とリボンをもらう。そのリボンを首に巻いて、ガラスでおしゃれをチェックして近所の少年たちと一緒に楽しそうに駆けていく。屈託ない後姿が、「今はどうしようもなく辛い世の中でも次の世代には必ず希望があるのだぞぉっ」と、そう言っているのだと信じておくことにする。救いのない映画は観るのが辛いのだ、やっぱり。
かすかな希望に★★★★☆
禁じられた遊び/居酒屋 | |
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よろしくお願いします!
<フランスではそう単純にはいかないものらしい
残酷なまでにリアルな展開で、ラストは救いがなく暗い気持になってしまいました。でもそこが、この作品をより印象的にしていると思います。「禁じられた遊び」も同様に厳しい現実的なラストは恐ろしくさえ感じました。
フランス人とアメリカ人って映画に対して期待してるものが違うんですよね。そのあたりの背景になっているものも理解しながら映画を見ていきたいなぁと、思ってますです。はい。